イタリアサッカー連盟は水曜日、1990年ワールドカップで最多得点を記録し、日本のジュビロ磐田で選手生活を終えたサルバトーレ・スキラッチ氏が59歳で亡くなったと発表した。
地元メディアは、「トト」の愛称で親しまれてきたこのフォワード選手が大腸がんのため亡くなったと報じた。
「パートナーの退団が早すぎて、悔しさしかありません」と、かつてのストライカーのパートナーで、現在はJ3のアスルクラロ沼津の監督を務める元ジュビロのスター、中山雅史は語った。
「ストライカーとしての彼のやり方、心構えやゴールへの追求の仕方は、今でも私の中にしっかりと刻まれています。」
ファイル写真は、1994年5月18日、静岡県のヤマハスタジアムで行われたJリーグの試合で、ジュビロ磐田のサルバトーレ・スキラッチ(右)が清水エスパルスを相手に得点を挙げているところを示している。(共同)
パレルモ出身の同選手は、下部リーグのクラブであるメッシーナでキャリアをスタートさせ、その後ユベントスに移籍し、1990年のワールドカップでスターの座に上り詰め、開催国チームを3位に導いた6ゴールを挙げた。
インテル・ミラノでプレーした後、このフォワード選手は1994年にJリーグの磐田に加入し、その1年前に始まった急成長中のリーグ戦を盛り上げる海外の大スターの一人となった。
スキラッチはジュビロで3シーズン以上を過ごし、リーグ戦78試合で56ゴールを記録した。その中には、日本にワールドカップ初ゴールをもたらした中山と強力なコンビを組んだ1995年の31ゴールも含まれている。
サルヴァトーレ・スキラッチは、2016年11月5日、東京の北西に位置する群馬県の正田醤油スタジアム群馬で行われたユヴェントスレジェンドチャリティーマッチでプレーした後、ファンと交流した。(共同)
クラブの声明で、岩田氏はスキラッチ氏は「我々の歴史に深く刻まれている」とし、「彼の功績は我々の心の中で長く生き続けるだろう」と述べた。
スキラッチは2015年と2016年にユヴェントスの伝説的選手たちとともに日本でチャリティー試合に出場した。
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