ホーム jpn 芸術だけが残るとき

芸術だけが残るとき

12
0


今世紀の初め、英国は緊急事態の際に取るべき最も重要な行動のリストを作成したと聞いた。そのリストの 1 つは、国立美術館に所蔵されている有名なティツィアーノの絵画を保護することだった。2003 年の米国による侵攻後、バグダッドのイラク国立博物館の宝物と同じ運命 (窃盗団による略奪) をたどったとしたら、「Noli me tangere」(1514 年) や「An Allegory of Prudence」(1550 年頃 – 1565 年) などの傑作がどうなるか想像してみてほしい。

英国政府がティツィアーノの絵画の安全性を懸念していることは、高級芸術は死んだという主張を否定するものである。平時であれば気を散らす余裕があるため、つまらないことや「コンテンツ」に溺れている世界では古典絵画は無意味に思えるかもしれない。しかし、戦争は方程式を変える。国や国民が領土、天然資源、金融機関と同じくらい文化的個性を大切にするとき、芸術は戦場になり得る。

19世紀ロシアの詩人アレクサンドル・プーシキンにちなんで名付けられたウクライナの「反プーシキン法」を考えてみよう。昨年採択されたこの法律は、ロシアとソ連の歴史に関連する文化遺産の撤去や破壊を認めている。ロシアの芸術家による絵画、彫刻、書籍など、数多くの芸術作品が帝国主義的、全体主義的イデオロギーの象徴として禁止または破壊されてきた。しかし、ナポレオンがアンギャン公を処刑した時のタレーランのジョークを借りれば、他国や他民族の文化遺産を即座に「取り消す」ことは犯罪よりも悪い、間違いなのだ。



もっとニュース

返事を書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください