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恵まれない韓国人のための学校が学生のエンパワーメント30周年を迎える

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戦後の混乱期に通常の教育を受けられなかった在日朝鮮人のために、在日3世女性が日本南西部に設立した夜間中学校が今年で開校30周年を迎えた。

2024年6月29日、北九州市で夜間中学開校30周年記念式典に出席した柳井芳恵さん(奥)とペ・ドンスンさん。(共同)

福岡県北九州市で生まれ育った65歳の柳井芳恵さんは、当初は母親と他の年配の韓国人のためにこの工業都市に学校を設立した。しかし、この学校は学校に通ったことのない人たちの学びの場となっただけでなく、正式な教育を受けていない人たちの心の支えにもなっている。

柳井さんは約30年前、北九州市の大学に在学していたとき、母親を含む多くの在日朝鮮人住民が第二次世界大戦中も戦後も正式な教育を受けておらず、文盲であったにもかかわらず、「教育を受ける権利」を謳う日本国憲法の矛盾に当惑した。

彼らのほとんどは在日朝鮮人1世、2世で、日本の敗戦後、社会的地位が低かったため朝鮮半島に帰国できず、学校に通うこともできなかった。「私には青春がなかった」と柳井さんの母は彼女に話していた。

当時、多くの朝鮮人は「日本語で名前や住所を書けず、電車に乗ることさえできなかったため、社会的に無視されていた」と柳井氏は語った。

柳井さんは、山田洋次監督の映画「記憶の教室」を通じて夜間中学の存在を知ったが、映画を見た1994年当時、北九州市にはそのような公立の夜間中学はなかった。

しかし、1994年5月、柳井さんは大学の指導教員に相談し、自分が知っていた大阪の自主夜間中学をモデルに、地元の公民館に在日朝鮮人1世と2世の学生のための読み書き教室を開校した。

市八幡西区安濃地区にある「安濃夜間中」では、30年間で100人以上が受講。週3日、午後7時から、地元の小学校の図書館などで授業が行われている。

2024年6月11日、北九州市の「安濃中学校」で夜間学級に通う生徒たち。(共同)

現在、30代から80代の8人が在籍し、退職した教員らが日本語や専門科目をマンツーマンで教えている。

日本では、公的に認可されていないが私的に教育を行っている学校を「自主夜間学校」と呼んでいます。

文部科学省は、政府が指定した47都道府県と大都市のそれぞれに対し、このタイプの学校を少なくとも1校設置または運営するよう奨励している。

夜間中学の開校30周年を記念して6月29日、安納町公民館で式典があり、約100人が出席した。ペ・ドンソンさん(89)は「学ぶことで生きる力がついた」と話した。

2024年6月11日、北九州市立安濃中学校の夜間部で、担任の先生の助けを借りて小説を読むペ・ドンソンさん(左)。(報道目的のみ)(共同通信)

ペーさんは1942年、7歳の時に来日した。公立小学校に約2年間通ったが、家事のため退学を余儀なくされた。

30年前、60歳を目前にして日本語がまだ読めない中、同じ境遇だった柳井さんの母親とともに夜間教室に通い始めた。

現在も同校で勉強を続けているペイさんは、2011年に日本漢字能力検定5級に合格した。「日本語の読み書きができないと人前に出るのを恥ずかしく思っていました。体が動く限り通い続けます」と彼女は語った。

夜間学校に通うのは在日朝鮮人だけではない。学校を中退した30歳の日本人女性、田中春菜さんも3月から授業を受け始めた。

2024年6月11日、北九州市立安濃中学校の夜間部で英語を学ぶ田中春菜さん(右)。(共同)

「自分のペースで勉強でき、先生も分かるまで教えてくれる。勉強って楽しいなと思うようになりました」と話す。

任意制の夜間中学には卒業証書を授与する権限はないが、北九州校の生徒は希望する年数だけそこで学ぶことが認められている。

柳井氏は「公立と私立が並行して取り組み、さまざまなニーズに応える学習機会を提供できるよう授業を運営したい」と語った。

北九州市にある夜間学校開校30周年記念式典で笑顔を見せるペ・ドンスンさん。写真は2024年6月29日撮影。(共同)

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