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日本、第二次世界大戦の戦死者収容を目指してアラスカ島を調査へ

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日本政府職員は月曜日からアラスカ南西部の無人島を調査し、そこで米軍と戦って亡くなった第二次世界大戦の兵士の遺体を70年以上ぶりに収容するための準備を整える。

厚生労働省によれば、1942年6月に占領した太平洋北部の島を1万人を超える米軍から守ろうとする失敗に終わった試みで、1943年5月にアッツ島で約2,600人の日本兵が死亡した。

1953年に約320人の兵士の遺体が回収されたが、その後の2007年と2008年の調査では遺体の収集には至らなかった。

ファイル写真は、1943年のアッツ島の戦いで亡くなった兵士の遺体が、1953年7月にアラスカ経由で東京の羽田空港まで飛行機で日本に運ばれる様子を示している。(共同)

米国は、道路や滑走路の点検、日本軍戦没者の遺骨の位置確認などを含む5日間の調査に船を提供する予定。遺族3人も同行する予定。

アッツ島の厳しい環境のため、探検は夏季に限られており、2010年に米国沿岸警備隊が撤退して以来、無人島となっている。また、自然保護区に指定されているため、立ち入り可能な地域や発掘が行える場所も制限されている。

遺族らの要請を受け、厚労省は外務省を通じて米政府と遺骨収集の調整を進めており、米側は2023年12月に協力覚書の草案を提示した。

両政府間で合意が成立すれば、道路整備や環境影響評価、宿泊施設などの分野で協力が行われると予想される。

1943年のアッツ島の戦いで亡くなった兵士の遺族の会の代表である山崎信行さんは、2024年8月1日に東京で、北太平洋で島を守る兵士を率いた祖父の山崎康代さんの写真を掲げている。(共同)

来週の旅では、参加者らはアラスカの米軍基地を訪問し、日本兵の慰霊碑で祈りを捧げる予定だ。参加者の中には、戦没者遺族会代表の山崎信之氏もいる。

アッツ島の戦いは、日本の大本営が「玉砕」という言葉を使った最初の戦いとして知られている。玉砕とは降伏せず名誉ある戦死を意味し、数十名が捕虜となった以外は全員が死亡した。

山崎氏の祖父、山崎康代氏はアッツ島で日本軍を指揮し、司令部からの命令で兵士たちを死に導いた。

「彼は自分の立場上、つらい思いをしたと思います」と、当時、彼らの死を美化したことに怒りを表明した山崎信之さん(65歳)は語った。「戦争をした国ですから、この国には遺骨を返還する責任があります」


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