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米軍の記録、広島原爆で亡くなった兵士の詳細を明らかに

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火曜日、機密解除された米国の公式文書に、日本で捕虜となり、1945年の米国による広島への原爆投下により死亡した米兵の名前とその他の詳細な身元情報が記載された。

写真は、1945年8月6日に広島で原爆投下により死亡した「海軍3等無線通信士」ノーマン・ブリセットさんの記録。米陸軍省の「死亡者個人ファイル」に収められている。(米国立公文書記録管理局が保管)(共同)

この最新の暴露は、1945年8月6日に日本の西部の都市を灰燼に帰した爆発で12人の米兵が死亡したことを確認する最近発見された米国の報告書に続くものである。

しかし、1ページの調査報告書には12人の身元を特定する情報はなかった。共同通信は、米陸軍省と国立公文書記録管理局に情報公開請求を行い、詳細な文書を入手した。

原爆被爆者で歴史学者の森重昭さん(87)の調査で明らかになった12人の名前をもとに、犠牲者全員の情報が公開された。

「死亡者個人ファイル」と題された最新の記録には、歯科検診の結果、所持品リスト、家族に送られた死亡通知など、犠牲者一人当たり約30~150ページの情報がまとめられている。

文書によると、チャールズ・バウムガートナー二等軍曹(29歳)は「広島の原爆で死亡した」とされる軍人2人のうちの1人であり、ダーデン・ルーパー少尉(22歳)を含む3人は1945年8月6日に広島で「戦闘中に死亡した」という。

20歳のジェームズ・ライアン少尉を含む他の2人については、戦闘中に死亡したことが「1945年8月6日」と確認されたと新聞は報じた。24歳のレイモンド・ポーター中尉については、家族に送られた死亡通知書に「広島の原爆の影響で」死亡したと書かれていた。

海軍の無線通信士、ノーマン・ブリセット氏は、1945年8月6日の広島への原爆投下で亡くなった12人の米兵の中で最年少の19歳だった。(写真提供:森重明)(共同)

資料によると、兵士8人の遺骨は、第二次世界大戦後の日本占領中に米軍が横浜に建設した霊廟に最初にまとめて埋葬された。その後、1949年に米国の国立墓地に再埋葬された。

報告書では19歳の「海軍三等無線通信士」とされているノーマン・ブリセット氏を含む12人の犠牲者のうち2人は、1945年8月19日に「原爆の爆発」で死亡したことが文書で示されている。彼らの遺体は広島で火葬され、横浜とフィリピンを経由して船で送られた後、1948年から1949年の間に米国に返還されたことが文書で示されている。

残る2人については、公開された記録には原爆の爆発と死因を結びつける明確な記述はなかった。

公開された資料は、広島平和研究所の永井均教授(日本近現代史)が分析した。

広島で爆発した原子爆弾は、1945年末までに推定14万人を殺害した。8月9日には2発目の原子爆弾が長崎に投下され、6日後に日本は降伏し、第二次世界大戦は終結した。


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