ホーム Fuji 築地場外市場、生き残り、繁栄 / 店の相続人が東京のグルメ市場を刷新、市場の成長維持のため顧客への新たなアプローチを模索

築地場外市場、生き残り、繁栄 / 店の相続人が東京のグルメ市場を刷新、市場の成長維持のため顧客への新たなアプローチを模索

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読売新聞
秋山真由子さん(右)と母の久美子さんがかつお節を混ぜている。

本市場の移転やコロナ禍による営業制限などで苦境に立たされた築地場外市場だが、近隣の再開発で再び賑わいを見せている。その魅力に迫る連載第3回。

削りたての鰹節が一掴みずつ木箱に放り込まれ、東京都中央区の築地場外市場の鰹節卸業者、秋山商店の外に並べられた。秋山真由子さん(28)が水分が入らないように手で混ぜる間、鰹節は甘くスモーキーな香りを周囲に漂わせていた。

「味見してみませんか?ご飯によく合いますよ」と秋山さんは店を訪れた観光客に声をかけ、笑顔でフレークを差し出した。

プロの料理人が自分の店に来たのを見た瞬間、彼女の表情は真剣な鑑定家の表情に変わった。

「この鰹節は、ハモの澄んだ出汁にぴったりで、味は繊細です」とお客様に説明しました。

秋山商店は1916年創業。秋山さんが高校3年生の時、3代目だった父が54歳で他界。母の久美子さん(65歳)が跡を継いだが、店の運営には慣れていなかった。動物園の飼育員になろうと大学に入学した秋山さんは、「店の運営を学ばなければ」と卒業後すぐに働き始めた。

学生時代に一人暮らしをしていた頃、実家から送られてきたかつお節でだしをとったところ、馴染みのある味にほっとした。煮込み料理は友達みんなが難しそうに言うけれど、濃いかつお節のだしを使うと簡単においしくできる。かつお節の奥深さを実感した。

「当店の鰹節の優しい旨味と香りをお客様に届けたい」と彼女は思いました。

店のベテラン職人から鰹節の燻製や削り方を学び、鰹節を使ったレシピなどの動画をSNSに投稿するなど、母親を応援している。

かつお節は、日本最古の歴史書『古事記』に登場する「硬い魚」を意味する「かたうお」に由来すると言われています。

「1000年以上も使われ続けているのは、家庭料理の基本だからだと思います」と秋山さんは言う。「今の私の夢は、もっと多くの人に自分で出汁を取ってもらうことです」

後継者、新参者

場外市場では、長い歴史を持つ老舗店が跡継ぎに引き継いで生き残りを図っている一方、場外から新規参入して店をオープンするケースも少なくない。

読売新聞
岩瀬裕子さんが生胡椒をふりかけたピザをお客さんに提供しています。

築地ペッパーズカフェ店主の岩瀬裕子さん(38)が30歳の誕生日を機にカンボジアを訪れた際、初めて生の胡椒に出会った。生胡椒の新鮮さと辛さに驚き、2019年に輸入販売を始めた。築地の食材を使ったピザやカレーも胡椒で味付けして提供する。

岩瀬さんは幼いころ、学校に行く前に父親に連れられて場外市場へ行き、朝食を一緒に食べた。年末には家族全員で市場へ行き、おせち料理の材料を買うのが家事の伝統だった。開店の地として迷わず築地を選んだのは、「最高の材料と最高の知識が手に入る場所。新しい食文化を築くのに、これほど良い場所は他にない」と岩瀬さんは言う。

岩瀬さんは、築地のバイヤーは厳しい目利きばかりだと思い、最初は気を引き締めていた。しかし、近隣の店主が岩瀬さんの店を顧客に勧め、岩瀬さんもその店の店主に勧めた。岩瀬さんの店の生の唐辛子を快く使ってくれたのだ。

「築地の温かい人たちが私を大いに助けてくれました」と彼女は語った。

築地の現状に甘んじることなく、未来を見据えた新たな取り組みも広がっている。

その一つが、2013年に場外市場の約20店舗でスタートしたネット通販サイト「築地おとりよせ市場」だ。今では約150店舗に増えた。肉や魚介、野菜や果物など、目利きのプロが旬の食材を厳選するのが自慢だ。コロナ禍では売り上げが10倍に伸び、客足が激減した実店舗の生き残りを助けた。

場外市場では、百貨店などさまざまな場所での催事にも積極的に参加。2019年には神宮球場内にマグロ丼や焼き鳥など約30種類のメニューを提供する「ミニ築地」をオープン。お客さんからは「新鮮でビールに合う」と好評だ。今シーズンからは球場コンコースで一部屋台販売も始めた。

「昔は店で客を待つだけだった。それよりも、みんなで団結して築地の魅力を発信し、場外市場の活性化につなげていきたい」と場外市場商店会振興組合の寺田昌弘会長(60)は話す。



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