ホーム Fuji 築地場外市場、生き残り、繁栄する / 築地、新たなルールで場外市場文化を継承、関東大震災からコロナ禍までの地域の歴史

築地場外市場、生き残り、繁栄する / 築地、新たなルールで場外市場文化を継承、関東大震災からコロナ禍までの地域の歴史

7
0



中央区京橋図書館提供
1956年の築地場外市場。現在と同じように小さな店が立ち並んでいた。

本市場の移転やコロナ禍による規制などで苦境に立たされた築地場外市場だが、近隣の再開発で再び賑わいを見せている。その魅力に迫る連載第2回。

***

「築地はかつて、商売と暮らしが密接に結びついた場所でした」と、東京都中央区の築地場外市場の総合案内所「ぷらっと築地」で観光客に築地の街と商店街をPRする山崎佳子さんは言う。

築地の歴史は江戸時代初期(1603-1867年)に遡ります。1657年の明暦の大火後の江戸湾(現在の東京湾)干拓事業の一環として、隅田川河口に築かれました。

干拓工事は当初、波が荒れて困難を極めたそうですが、波間に浮かぶ神聖なものを見つけ、それを神として祀ったところ、波が静まり工事が無事に終わったという伝説が残っています。これが築地波除神社の由来です。波除とは文字通り「波除け」と訳されます。

このあたりは水運に適しており、武家屋敷や町家が集まっていたことから、全国から集まるさまざまな品物を取り扱う問屋が立ち並び、一帯は栄えていました。

明治時代(1868-1912)には外国人居留地が設けられ、外国人専用のホテルも設けられ、街には文明開化の香りが漂っていたと言われています。

場外市場の創設は、1923年9月の関東大震災がきっかけとなった。

震災後、日本橋魚市場は焼失し、海軍省の敷地があった築地に移転し、仮設の公設市場が営業を開始しました。市場の外には日本橋界隈の商人や、新たに商売を始める人々が集まり、賑やかな商店街を形成しました。

仮設魚市場の卸売店が飲食店や小売店などの事業者に水産物を販売する一方、場外市場の店舗は仮設市場にはない乾物や惣菜を幅広く取り扱い、調理器具も販売して繁盛した。

1935年に仮設市場の跡地として築地市場がオープンした当時、すでに現在のような街並みになっており、食料品店や玉子焼き、鰹節などを売る店など、数多くの店が立ち並んでいた。

半世紀以上にわたり区のまちづくりに携わってきた中央区副区長の吉田宇純氏は「築地市場と日本橋市場は、築地地区の発展を語る上で欠かせない存在だった」と語る。

戦後復興

太平洋戦争中の空襲で銀座や京橋の街が焼け野原となった一方、川と大通りに囲まれた場外市場は奇跡的に被害を免れた。

「店舗は被害を受けなかったため、全国から物資が集まり始め、街の復興は急速に進んだ」と、1948年創業の惣菜店「須賀商店」の須賀隆さんは振り返る。


読売新聞
Takashi Suga, 98, speaks about Tsukiji.

築地で生まれ育った須賀さんは復員後、静岡県焼津市のかまぼこ商人とともに、自宅の一角を貸してかまぼこ店を始めた。

当時は食糧難が深刻で、食べられるものなら何でも売れた時代。焼売やミートボール、かつお節の煮物など、品揃えを増やすと客足も増えた。

朝早くに店が開くと、次から次へと客からの注文が入り、目が回るほど忙しい。しかし、正午にはその日の営業は終了していた。

店の上階は店主とその家族が住んでいて、店の前の路地には、分厚いカードを地面に投げて相手のカードをめくる子供の遊び「めんこ」をする子供たちでいっぱいでした。

子どもがいたずらをしているのを見つけると、たとえ自分の子でなくても大人が叱る時代でした。

築地波除神社の築地獅子祭は、初夏に開催される地域の一大行事です。

祭りでは須賀さんが笛を吹き、幼なじみが太鼓をたたき、みんなで神輿を担ぎ、絆を深めた。「あの頃は町中が兄弟姉妹のようでした」と須賀さんは言う。

新たな展開


読売新聞
小さな店が立ち並ぶ築地場外市場は5月11日、東京都中央区で観光客らで賑わっている。

高度経済成長期(1950年代半ばから1970年代前半)を経て、築地市場の水産物取扱量は世界有数の規模となり、「築地ブランド」は海外にも広まりました。

築地市場は2018年10月に江東区の豊洲に移転したが、場外市場の店舗の多くは築地に残り、訪日外国人を中心に賑わいを続けている。

しかしここ数年、コロナ禍で閉店した店舗の跡地に外部から新たな業者が進出し、店舗によってはパラソルが敷地からはみ出して客の通行の妨げになったり、食べ歩き客が路上でゴミを捨てたりするなどの問題が顕在化してきた。

こうした状況を踏まえ、場外市場の出店者らでつくる非営利団体は4月、場外市場の事業者が守るべきガイドラインを策定した。

ガイドラインでは、場外市場や商店街の景観を損なわないよう、建物を新築するか、建物の1階を店舗として活用するなど、周囲の景観と調和する形で改築することを求めている。

ガイドラインでは「周囲に配慮した良質な商売」を推進するため、公道での看板や標識、商品の陳列も禁止。店舗前を毎日掃くなどの自主ルールも設けた。

これらのガイドラインはすでに効果があることが証明されている。例えば、ある小売業者は公道に突き出ていた冷蔵庫を撤去した。

同協会の北田吉嗣会長は「築地はこれまで、主に固定客の確保によって商売を続けてきた。『食の街・築地』が培ってきた文化を、これからも長く受け継ぎ、さらに発展させていくことが大切だ」と話している。



もっとニュース

返事を書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください