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秋葉原刺傷事件から16年、犯人の友人がボランティア活動を通じて犯罪防止を訴える

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The Yomiuri Shimbun
大友秀逸さんは5月30日、東京千代田区で2008年の秋葉原連続刺傷事件の現場を訪れた。

2008年に秋葉原で7人を殺害した犯人の友人が、犯罪者たちが更生し社会復帰できるよう支援するため、昨秋から保護司のボランティアになった。

大友秀逸さん(47)は、加藤智大死刑囚の友人であったにもかかわらず、事件を防げなかったことを悔い、保護観察官になることを決意したと語った。加藤死刑囚は2022年7月に39歳で死刑執行された。

土曜日は刺傷事件から16年目を迎えた。大友さんは、孤立感を抱く人々を助けたいという決意を語った。

事件は2008年6月8日正午ごろ、東京の混雑した秋葉原地区で起きた。加藤容疑者はトラックで歩行者専用道路に突っ込み、5人をはねた。その後、車から降りて他の歩行者をナイフで無差別に刺した。7人が死亡、10人が負傷した。

加藤被告に対する死刑判決は2015年に確定した。

連絡を取り続けた

「え?加トちゃん?」2008年のあの日、当時東京都足立区の警備員だった大友さんはニュースを見てそう言った。

その日曜日、自宅でテレビを見ていた彼は、自分が目にしている光景が信じられなかった。元同僚がトラックを運転して歩行者専用区域に入り、ナイフを持ってトラックから降り、最終的に逮捕される映像を見たのだ。

秋葉原事件の約5年前、加藤容疑者は大友容疑者が勤務していた仙台の警備会社に入社した。2人はともに青森県出身で、ゲームやアニメが好きだったこともあり、すぐに仲良くなり、仕事やラーメン屋に一緒に行った。

約1年半後、加藤さんは警備会社を辞め、埼玉県内の自動車工場で働き始めたが、2人は連絡を取り続けていた。大友さんが加藤さんと最後に話したのは、2006年末か2007年初め頃だった。

「週末に秋葉原に行くのが好きです」と加藤さんが言っていたことを大友さんは覚えている。

ある時、大友さんの携帯電話が壊れ、連絡先がすべて消えてしまった。加藤さんは大友さんに電話をすることはなかった。

そして事件は起きた。大友容疑者は翌日、警視庁万世橋署に出向いたが、加藤容疑者と面会することはできなかった。

加藤さんは両親とうまくいかず、暇な時間はすべてネットの掲示板を読んだり書き込んだりして過ごしていた。大友さんはニュースを見るまで、友人がどんな暮らしをしているのか知らなかった。

大友氏は加藤氏が家族について話すことを避けていたと述べた。

「もっと深い関係を築いていれば、困ったときに頼ってもらえたのに」と大友さんは悔やんだ。

インタラクション

大友さんは毎年6月が近づくと同じような思いを抱いていた。何かできることはないかと考え、2019年6月に実名でX(当時はツイッター)のアカウントを開設した。

「私は加藤智大さんの元同僚であり友人です。ご意見やご質問などお気軽にお書きください。」と書いた。

その後すぐに、事件が起こったときにその場にいたという男性からメッセージが届いた。

男性は当時大学院生で、現場で応急処置や心肺蘇生を行って人々を助けた。その後、自分が治療した人が亡くなったことを知り、トラウマとなった。男性は後に心的外傷後ストレス障害と診断された。

2022年7月26日、加藤死刑囚の死刑執行当日、大友さんは加藤死刑囚から電話を受けた。「加藤死刑囚のせいで人生が変わった」と、男性は電話越しに泣きながら語った。

大友は改めてこの事件がもたらした衝撃を実感した。

「二度とこのような事件が起きないように、そして誰も同じような思いをしないようにしたい」と大友さんは思った。

彼は、殺人などの重大犯罪の再犯率が高いことを知り、仮釈放された成人や少年犯罪者が社会に復帰できるよう支援するボランティア保護観察官になることに興味を持つようになりました。

大友さんは地元の保護司会に連絡し、会長に犯罪防止に貢献したいと伝えた。熱意が認められ、2023年9月に法務大臣から保護司に任命された。

分離

彼がボランティア活動を始めてから9ヶ月が経ちました。

大友さんは、空き時間に何人かの仮釈放者と会い、アドバイスをしてきた。仮釈放者の家族が受け入れを拒否した場合、大友さんは仕事や住む場所を見つけるのを手伝う。基本的な生活環境を確保するのにどれだけ時間がかかるのかを初めて実感した。

仮釈放者が孤立しないように支援するのはその後だと考え、信頼を得るためにできるだけ直接面談するようにしている。

「私が支援している人々が人生を捨てたいと思うようなことがあれば、私のことを思い出して罪を犯さないでほしい」と大友さんは言う。「私はそんな人になりたい」

彼は自分が犯罪を防ぐ最後の防衛線であると信じている

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