ホーム Fuji 甲子園からパラリンピックへ:やり投げ選手が長年の夢を実現

甲子園からパラリンピックへ:やり投げ選手が長年の夢を実現

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上肢障がい者のためのF46やり投げ競技に初めて出場した26歳の高橋峻也選手は、火曜日のパリ大会で6位に終わった。かつて甲子園球場で行われた有名な全国高校野球選手権大会に出場するなど、優れた運動能力の持ち主であるにもかかわらず、メダル獲得には至らなかった。

鳥取県米子市生まれの高橋選手は、3歳の時に脊髄炎(脊髄の炎症)により右腕に障害を負った。小学校時代に野球への情熱に火が付き、高校3年生の時に鳥取県立境高校の選手として甲子園に出場した。

この時、左手で捕球し、素早くグラブを外して同じ手で投げる動画が日本福祉大学の三井俊人教授(60)の目に留まった。

「陸上競技を通じて、一緒にパラリンピックを目指しませんか」と、三井さんは高橋さんに尋ねたと振り返る。当時、日本パラ陸上競技連盟で選手発掘や人材育成に携わっていた三井さんは、高橋さんの体力と精神力に「アスリートとしての土台がしっかりしている」と可能性を感じていた。そのチャンスを逃さず、高橋さんは2017年に陸上競技に転向。「肩の強さには自信があった」という理由でやり投げを選んだ。しかし、新しい競技に適応するのは大変だった。

「投球技術が全く違う」と三井氏は説明し、高橋選手は野球選手時代についた癖を直すために努力を続けていると付け加えた。

高橋氏の最大の強みの一つは、その不断の労働倫理である。

「大学時代、彼はいつも一番最初にグラウンドに来て、一番最後にグラウンドを去っていました」と三井さんは思い出す。

弱った右腕でやりを投げるのは、独特の難しさがある。「助走でも投げる動作でも、バランスを保つのは非常に難しい」と高橋選手は言う。しかし、「継続は力なり」をモットーに、厳しいトレーニングで技術を磨き続けた。

高橋選手は東京パラリンピック出場を逃したものの、この3年間で飛躍的な進歩を遂げ、ついには同種目で日本記録を樹立した。憧れのパリの舞台で全力を尽くし、長年の夢を実現した。



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