ホーム Fuji 板倉佳苗・澄子:日本人画家夫婦によるパリ作品回顧展が千葉で開催

板倉佳苗・澄子:日本人画家夫婦によるパリ作品回顧展が千葉で開催

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千葉市美術館提供
板倉佳苗の「赤いドレスの横たわる女性」は個人コレクションの一部である。

パリで才能を開花させながら若くして亡くなった画家、板倉鼎(1901~29)と妻澄子(1908~34)の展覧会が現在、千葉市美術館で開催されている。戦間期、芸術の中心地パリで画家としてのキャリアを築いた日本人夫婦の足跡をたどる。

初公開を含む2人の作品約240点と、写真や手紙など約70点を展示する。2021年に鼎さんの遺族から同美術館に作品33点が寄贈されることを記念したもの。

鼎は現在の千葉県松戸市で育ち、東京美術学校(現・東京藝術大学)で洋画を学んだ。ロシア文学者の長女・澄子と結婚し、1926年にハワイを経由してパリに渡り美術を学んだ。

「パリはまさに画家にとって天国のようなところ」と澄子はパリでの学びの喜びを手紙に綴っている。パリでは、東京美術学校の同級生で、キュビスムの影響を受けたフランスの画家ロジェ・ビシエール(1888-1964)に師事した岡鹿之助(1898-1978)と親交が深かった。やがて、写実的な画風から離れ、簡潔な形と鮮やかな色彩で描く独自の詩的な作風を確立。代表作「赤いドレスの横たわる女」は、澄子が窓辺に横たわる姿を緻密な構図で描き、パリで学んだ技法が光る。

一方、澄子は夫の指導のもとパリで絵を描き始め、生き生きとした絵を描きました。二人の作品は権威あるサロン・ドートンヌに入選するなど、夫婦のキャリアは順調にスタートしたように見えました。

しかし、鼎と澄子はそれぞれ28歳と25歳という若さで病死。画家としての活動は短命に終わり、作品が広く知られることのないまま1世紀近くが経った。

夫妻の研究を長年続け、書簡集も出版している元松戸市教育委員会学芸員の田中紀子さんは「1920年代後半のヨーロッパでも評価されるような、斬新で新しい絵画を生み出した」と高く評価する。

「横たわる赤いドレスの女」の背景をよく見ると、エメラルドグリーンの海とそこに描かれた白い帆船が、澄子の「ベル・ホノルル」シリーズの絵画に描かれた海を彷彿とさせる。


千葉市美術館提供
松戸市教育委員会所蔵の板倉澄子著「ベル・ホノルル24」

「あの海は彼女の心の世界に繋がっていたのかもしれない」と田中さんは言う。「もし彼らがもっと長く生きていたなら、どのように成長していただろう」 [as artists] お互いに影響し合ってどういったことをしているのでしょうか? 多くの人に興味を持ってもらい、研究が進むきっかけになればと思います。」

展覧会は6月16日まで開催されます。



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