ホーム Fuji 東京の文学バー:有名な作家たちが酒を飲み、インスピレーションを得た場所。多くの芸術家が今も集まって作品について語り合う場所

東京の文学バー:有名な作家たちが酒を飲み、インスピレーションを得た場所。多くの芸術家が今も集まって作品について語り合う場所

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4月27日、ルパン店内の様子。バーカウンターの左側の席は、かつて太宰治が座っていた席。

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東京銀座にあるバー「ルパン」の入り口

東京の銀座にある、にぎやかな高級ショッピング街から少し外れ、薄暗い路地に入ったところに、シルクハットをかぶった有名な架空の泥棒の絵が描かれた看板が目に入った。

その看板はバー「ルパン」の看板でした。

1928年に創業したこの店には、坂口安吾など昭和の文豪たちが常連として通っていた。ドアを開けて地下へ向かうと、まるで昔の時代に戻ったかのような木製のカウンターが置かれた店内にたどり着いた。

「これがゴールデンフィズです」とルパンのバーテンダー、平木郁夫さん(73)がカクテルを注ぎながら言った。「私の先代が安吾さんが落ち込んでいる時にこれを出したと聞いています。安吾さんはこれをたくさん飲んでいました」

ルパンで四半世紀にわたりバーテンダーを務めてきた平木さんは、坂口さんが通っていたころのグラスにカクテルを注いだ。

ゴールデン フィズのなめらかで甘い味は、ジン フィズと卵黄を混ぜることで生まれます。この飲み物は、現在ではブライハ派、つまり退廃的な反権威主義派の作家の一人として知られる、意気消沈した作家にいくらかの慰めを与えたに違いありません。

アーティストを支援する

昭和初期の銀座には、女性店員が客と会話をしながら接客する「カフェ」と呼ばれる飲食店が多くありました。

ルパンは、タイガーという喫茶店で働いていた高崎由紀子によって設立されました。高崎は、菊池寛や泉鏡花など常連客の支援を受けてルパンをオープンしました。高崎は1995年に亡くなりました。


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太宰はルパンのカウンターに座るのが好きだった。太宰の写真は林忠彦が撮影した。

坂口以外にも織田作之助や太宰治もこの店によく来店した。酔っ払った太宰がバーの椅子に座り、隣の椅子に足を乗せている有名な写真はこの店で撮影されたもので、今も壁に飾られている。

昭和の文壇で「最後の常連」と呼ばれた野坂昭如は、高崎に似た女将と店を舞台にした小説を書いている。文豪が通う店は、作家が作品を生み出すこともある。

創業者の孫、高崎直彦さん(52)は「最近は女性や外国人観光客も気軽に店に入ってきて、一人でカウンターに座るが、昔は画家や作家、写真家など男性客ばかりだった。男の世界だった」と話す。

「今と違って、通信技術があまり発達していなかったんです」と彼は付け加えた。「新聞社や出版社が近くにあったので、人々はここに集まりました。ここに来れば誰かに会える。バーは知識人同士が出会う拠点のようなものだったと思います」

歴史に浸る

昭和の時代に作家や編集者が通ったバーの多くは、銀座や新宿周辺にあった。川口松太郎の小説『夜の蝶』では、お染とエスポワールの女将による客の奪い合いが描かれ、映画化もされた。

しかし、近年では多くのバーが廃業してしまいました。

作家の森まゆみさんは著書「聖子」の中で、檀一雄や井伏鱒二ら作家が集った新宿のバー「風門」の女将にインタビューした。この店は2018年に閉店した。

「最後の数日前 [Fumon] 「文豪ストレイドッグスが閉店したあと、太宰ファンが店に来て、太宰を知る人たちと話をしたり、太宰の匂いを嗅いだりしていた。今は消臭する人が多いけれど、文学バーは他では失われてしまった、今は亡き人たちの匂いをそのまま残していた」と森さんは懐かしそうに語った。

評論家や作家たちは普門で集まり、議論を交わした。

森氏は著書のあとがきで、このバーは出版社が作家をもてなす便利な場所であっただけでなく、文化活動や思想運動の中心でもあったと書いている。

「女性従業員が作家にサービスを提供する場所ではありませんでした」と森氏は言う。「むしろ文化の仲介者でした。」

文化の魅力

文学バーには今でもさまざまな分野のアーティストが集まっています。

1980年にオープンし、店名の頭文字を「風門」から取ったバー「風花」は、新宿にあった旧ビルの老朽化により今年、東京・四谷に移転するまで、作家による朗読会の会場となっていた。

当初は閉店も検討していたが、常連客らが「閉店しないでほしい」と何度も頼み込み、現在の場所に移転することになった。

バーカウンターは新宿から四谷に移設され、作家の故・中上健次が愛飲したウイスキーが今も誇らしげに飾られている。

バーのオーナー、滝沢喜久子さんは、劇作家同士が殴り合いの喧嘩をすることもあるし、作家同士が朝日が昇るまで文学について語り合うこともあると語った。


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風花が東京・四谷に移転オープンした夜、常連の作家たちが集まって祝った。

「文学バーを作ろうと思ったわけではありません。いつからそう呼ばれるようになったのかはわかりません」と滝沢氏は言う。「ただ、自然といろいろな変わった人が集まるようになったのです」

テクノロジーのおかげで生活がどれだけ便利になっても、バーやカフェで直接人と話すことでしか学べないことがいくつかあります。文学バーは文学史の知られざる語り部であり、夜な夜な誰かがお酒を飲みにやって来ます。



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