2024年7月4日 20:00(日本時間)
水曜日の午後3時過ぎ、最高裁判所で戸倉三郎裁判長が原告側の勝利を宣言すると、原告らの間から歓声が上がった。「やった!」と叫ぶ原告もいた。
強制不妊手術の被害者たちは、「戦後最大の人権侵害」と言われた行為に対する裁判所の歴史的な判決に歓喜の涙を流し、「一筋の希望の光」を見た。
原告らは、旧優生保護法下で不妊手術を受けたとして政府に損害賠償を求めていたが、最高裁は水曜日、同法は違憲であるとの判決を下した。最高裁はまた、政府を厳しく批判し、「長期間にわたり多大な費用を強いる政策を実施した責任は極めて重大である」と述べた。
不当に不妊手術を受け、子どもを産み育てる機会を奪われた原告らは判決に安堵し、差別のない社会への道が開かれることを期待した。
最高裁は、障害者に対する国家差別の根拠となった旧法を「憲法違反」と明言した。東京地裁に提訴した原告の北三郎さん(81)の目に涙が浮かんだ。
喜多さんは14歳で不妊手術を強いられた。28歳で結婚したが、40年以上も一緒に暮らした妻には手術のことを打ち明けられなかった。妻が病死する直前、ようやく真実を打ち明けた。「ちゃんとご飯を食べることだけは忘れないでね」と妻は優しい笑顔で告げた。
北さんは妻の死後、2018年に損害賠償を求める訴訟を起こした。妻が生きていたら支えてくれたはずだと粘り強く訴訟を続けた。6年を経て、北さんは勝訴を勝ち取ったことで、多くの被害者の救済につながると信じている。最高裁の前では「今まで支えていただきありがとうございました」と手書きの横断幕を掲げた。
北さんは妻の墓参りに行き、判決について伝えるつもりだ。「やっと希望の光が見えてきました」と北さんは言う。「妻も勝訴を喜んでくれると思います」
長い待ち時間
大阪訴訟の原告で、ともに偽名を使用している野村太郎さんと妻の花子さんは、判決を知らされた後、大阪で支援者と握手した。太郎さんは80代、花子さんは70代で、ともに聴覚障害があり、手話を使って記者たちに自分たちの気持ちを伝えた。
「私たちは長い間この結果を待っていました」と野村氏は記者団に手話で述べた。「不妊手術がついに差別として認められたのです。」
野村夫妻は1970年に結婚し、4年後に娘を授かったが、すぐに亡くなった。二人はもう一人の子どもを望んだが、花子さんは二度と妊娠しなかった。後に、花子さんは娘を出産した後、知らずに不妊手術を受けていたことがわかった。その後何年も、小さな子どもたちを見ると、彼女は悔しさと後悔の気持ちを募らせた。
水曜日の朝、花子さんは娘のために仏壇に花を供え、裁判が勝訴で終わることを願っていると語った。
「過去は変えられないけど、これから起こることは変えられる」と花子さんは署名した。「このような人権侵害が二度と起こらない社会になってほしい」
法律に基づき不妊手術を受けた2万5000人のうち、2017年時点で生存しているのは約1万2000人と推計される。だが、訴訟を起こした原告は39人にとどまり、判決で国が賠償金を支払う責任があると認められたのは12人だけだった。また、幼少期に手術を受けたことや障害の重さから、手術を受けたことを知らない被害者も多いとみられる。
被災者は高齢化が進んでおり、救援活動に残された時間は限られている。