AP
2024年7月29日 14時07分(日本時間)
キエフ、ウクライナ(AP通信) — ウクライナ国民は、50人以上が死亡した爆発事件の2周年を記念する式典で日曜日に怒りを表明し、ロシアに捕虜解放をさせるために政府にさらなる努力をするよう求めた。
ロシアがオレニフカ刑務所の兵舎に拘留していたウクライナ人50人以上を殺害した爆発事件の2周年を記念するため、日曜日、数千人の兵士と民間人がキエフの独立広場に集まった。
式典に出席した熱心な演説者たちは、捕虜交換で兵士たちを解放するためにウクライナ政府に一層努力するよう求めた。
多くの兵士によれば、オレニフカ爆発は戦争で最も悲惨な出来事の一つだった。
「私はオレニフカにいました。爆発で揺れました」と、後に解放されたキリロ・マサリティン軍曹は語った。「こんなに無力だと感じたことはありませんでした。今も拘束されている人たちも毎日その無力感を感じています。私たちは彼らを解放するためにできる限りのことをしたということを彼らに知ってもらわなければなりません。」
マサリティンの背後には、アゾフ旅団の300人以上の兵士が隊列を組んで立っていた。彼らは一斉に祈りを唱えた後、戦友を称えるために赤い照明弾を高く掲げた。
ロシアは、オレニフカ爆発はウクライナ軍が刑務所の宿舎にミサイルを発射したことが原因だと主張している。しかし、AP通信の調査によると、爆発はロシア軍が引き起こしたことを示唆する証拠が増えている。
AP通信は、生存者、捜査員、死者や行方不明者の家族など、攻撃の詳細を直接知る10人以上の人々にインタビューした。全員が、犯人がロシアであると直接示すと思われる証拠を語った。AP通信はまた、同じ結論に達した国連の内部分析も入手した。内部分析ではロシアが攻撃を計画し実行したと結論付けられたが、国連は公式声明でロシアを非難することは控えた。
爆発から2年が経ったが、多くのウクライナ人はいまだに爆発がどのようにして起こったのか正確に知りたがっている。日曜日のデモには、オレニフカ事件を記念する人々と、ロシアがマリウポリ市を占領した際に捕虜となったアゾフスタリ製鉄所を防衛したウクライナ戦闘員のロシアによる投獄に抗議する人々が集まった。
また、2022年にマリウポリが陥落した際に捕らえられたアボフスタル製鉄所を防衛していたウクライナ兵の解放を求める声も多かった。ロシアは少なくとも900人のアゾフ旅団の兵士を捕虜にしている。「アゾフ解放」運動はキエフで声高な圧力団体となり、毎週集会を開いてウォロディミル・ゼレンスキー大統領の政府に捕虜交換を促し、ロシアに捕らえられているウクライナ人捕虜を解放するよう求めている。
「私たちは亡くなった人々、そして捕虜となった人々を思い出すためにここにいます。政府にこの件に一生懸命取り組むよう働きかけるためにここにいます」とスタニスラフと名乗る兵士は語った。
スタニスラフ氏は、2022年2月にロシア軍が侵攻した際にマリウポリの防衛に当たっていたが、砲撃で負傷し、左腕を失ったと述べた。ロシア軍に捕らえられる前に、アゾフスタリ製鉄所内の軍基地で治療を受け、その後解放された。身体のリハビリ後、スタニスラフ氏は軍に復帰し、現在はキエフの軍本部で働いている。
彼は捕虜の兵士の解放を求めて引き続き努力すると述べた。
「私たちがここにいるのは特別な理由がある。捕らわれている戦友たちが戻ってくるのを見るためだ」と彼は言った。「捕らわれている人たち全員だ」
キエフの中心部で行われたこのイベントには、オレニフカで殺害された兵士や現在ロシアに投獄されている兵士の母親、妻、子供を含む多くの家族が集まった。
ハリーナ・スタフィイチュクさん(71歳)は、感情に震える声で、息子がロシア人に拘束されており、2年以上連絡がないと語った。
「私は毎日泣いています。彼から、彼が大丈夫で、すぐに家に帰るという手紙が届くことを祈っています」とスタフィチュクさんは語った。「私たちは神と政府が兵士全員を連れ戻してくれると信じています。」
もっとニュース