ホーム Fuji 戦後作曲家・團伊玖磨の膨大な文書がネット公開へ、「アラビアン・ダンス」の手書き楽譜も

戦後作曲家・團伊玖磨の膨大な文書がネット公開へ、「アラビアン・ダンス」の手書き楽譜も

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The Yomiuri Shimbun
團伊玖磨

戦後を代表する作曲家、團伊玖磨(だん・いくま)さんが書いた企画書や楽譜などの資料が、死後約20年を経て公開されることが分かった。

これらには、彼が亡くなる直前まで取り組んでいた未完成の交響曲の計画に関するメモや、これまで録音のみが知られていた管弦楽曲の手書きの楽譜などが含まれている。

この文書は、偉大な作曲家がどのように音楽を創作したかを明らかにするものであり、生誕100周年となる今秋にデジタル形式で一般に公開される予定だ。

檀さんは1924年東京生まれ、2001年死去。交響曲やオペラ「夕鶴」、童謡「ぞうさん」や「ラジオ体操第2番」など幅広い作曲で知られる。1999年には文化功労者に選ばれ、随筆「パイプの煙」で読売文学賞を受賞した。

公開される資料は、檀氏の音楽を研究する音楽評論家の西浩一氏が検証。檀氏の息子で建築家の檀紀彦氏が、神奈川県横須賀市の父の自宅の書斎に残されていた楽譜など約2千点を西氏に提供した。

晩年、檀は敬愛する北原白秋の詩集「邪宗門」をもとに第七交響曲を作曲していたが、中国旅行中に急逝。遺品の中に同詩集の文庫本が見つかった。独奏用にしようとした詩の横に、独奏者の名前と思われる2小節の短いメロディーと、全員で演奏するイタリア語の「トゥッティ」が書かれており、曲の構想を練っていたことがうかがえる。また、「邪宗門秘曲」と題された5線譜の白紙の楽譜もあった。


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ダンが2小節のメロディーなどを書いた詩集「邪宗門」のコピー

隠し場所にあった楽譜の中には、「アラビアン・ダンス」というオーケストラ作品の楽譜もあった。この曲は、ダン自身が企画し、1958年に放送されたTBSラジオの音楽特集で使われたと考えられている。

ダンは西洋音楽の伝統の中に独自の表現を模索し、1956年には東京大学のイラクとイランの考古学調査隊に同行してドキュメンタリーの音楽監督を務めた。その地域の音楽を研究し、帰国後は1958年に壮大な交響組曲「アラビアの旅」を含むいくつかの作品を発表。「アラビアン・ダンス」はこれらの作品と関連があると考えられている。

「父はさまざまな人と関わりながら音楽を作ってきました」と紀彦さんは言う。「父がどうやって作品を作ったのかを多くの人に知ってもらい、親しんでもらいたいです」


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團伊玖磨の「アラビアンダンス」の手書き楽譜



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