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佐渡島の遺跡が400年の金採掘の歴史を伝える

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By Tetsu Joko and Satoshi Oga / Yomiuri Shimbun Photograpgher
佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」(5月17日~6月4日撮影)

新潟県佐渡島中西部の相川地区に、山が二つに割れた「山裂き」がある。山頂付近から始まり、山をほぼ二つに分けるこの割れ目は、江戸時代に手掘りで掘られた巨大な金山の一部で、人造のものだ。

幅30メートル、深さ74メートルのこの割れ目は「道遊の割戸」と呼ばれ、日本最大の露天掘り遺跡で、今夏の世界文化遺産登録も期待される佐渡金山のシンボルとなっている。


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佐渡金山の観光用に整備されたトンネル

ドローンで山頂に近づくと、その断面の大きさに圧倒されました。この巨大な山をどうやって人の手で採掘したのか不思議に思いました。

佐渡金山は、江戸時代に徳川幕府が管理していたわずか2つの地区から構成されていますが、島のいたるところに史跡や遺跡が残されており、1989年までの約400年にわたる鉱山の歴史を今に伝えています。


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北沢浮遊選鉱場は、昭和初期に金の産出を支えた場所。

昭和初期の金生産の最盛期を支えた北沢浮遊選鉱場は、金山から出る金を多く含む鉱石を選別する役割を担い、「東洋一の浮遊選鉱場」と呼ばれた。1952年に操業を停止したが、建物の基礎部分を植物で覆う様子がまるでアニメに出てくる城のようで、観光名所となっている。

Honkyo Saito, chairperson of Aikawa Fureai Guide, 72, said: “After [the plant] 「閉まっているときは木々に覆われて見えませんでした。遺跡の前の広場にはゴルフの練習場がありました。」


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大間港からは金属鉱石や石炭などの物資が搬出入されていました。

鉱山史の重要遺産として認定されており、約15年前に整備された。付近にはかつて鉱山の町として栄えた面影が今も残っている。

ユネスコの諮問委員会は金鉱山の世界遺産登録を勧告しなかったが、インドで日曜に始まる世界遺産委員会は登録を勧告するかもしれない。島では宿泊施設の整備や外国語対応ができるスタッフの育成などが進められている。


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泥に覆われた鉱物と水を分離した円形沈殿槽の前で話す斉藤本京さん

斉藤さんは「佐渡はかつて黄金の島と呼ばれた。日本人だけでなく、世界中から観光客が来てほしい」と話した。

低高度での現場に近い3D画像とビデオを見るにはここをクリックしてください



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