ホーム Fuji 京都の秘密 / 曲がった壁と猿の像:京都の鬼門除けは悪魔を追い払います。伝統的な設備は今でも「不運な」角を守っています

京都の秘密 / 曲がった壁と猿の像:京都の鬼門除けは悪魔を追い払います。伝統的な設備は今でも「不運な」角を守っています

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読売新聞
京都市中京区の扇子店の北東隅にある小さな四角いスペースに、白い小石が敷き詰められている。

凹んだ壁、猿が「悪魔」の門を守る

京都市上京区にあるかつての天皇の住まい、京都御所は、南北約450メートル、東西約250メートルの長方形の敷地に建っています。敷地を囲む築地塀の一角に、面白い場所があります。北東の角で、塀がL字型に凹んでいます。これは、鬼門除けと呼ばれる、鬼から周囲を守るための伝統的な建築様式です。

日本では昔から、伝染病や火災、自然災害などの災厄をもたらす鬼が「鬼門」を通って出入りすると信じられてきました。

暦や天体の動きなどの要素に基づいて吉凶を予測しようとした古代の疑似科学では、陰と陽という相補的な二つの力が人生のあらゆる側面と現象を構成すると考えられていました。この哲学では、北東は不吉な方向とされています。

そのため、鬼門は北東の角にあると考えられ、宮殿の角は鬼門をなくすために凹んでいます。


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京都左京区の赤山禅院の拝殿の屋根には、魔除けの猿の像が置かれている。

塀の屋根の下には木彫りの猿の像も置かれている。この動物は大津市の日吉大社に祀られている神の使いとされ、鬼の侵入を防ぐと信じられている。

日吉大社に祀られている神様は、同じく大津市にある比叡山延暦寺の守護神です。京都の北東に位置することから、京都全域を鬼門から守ってくれる神様として信仰されています。

神道の神が仏教寺院を守っているというのは奇妙に思えるかもしれないが、日本では古代から神道と仏教の融合が実践されてきた。この宗教的枠組みの中で、日本固有の信仰体系である神道は、インドから中国、朝鮮半島を経て伝わった仏教と融合した。

神道は1868年に明治政府の布告により仏教から分離されましたが、古代の信仰の枠組みの名残は今でも多くの場所で見ることができます。

京都市左京区北東部にある赤山禅院は比叡山延暦寺の別院で、延暦寺よりも市街地に近い場所にあります。赤山禅院の拝殿の屋根には鬼門除けの猿の像もあります。

赤山禅院の本尊は、神道では赤山大明神という名前ですが、もともとは中国から伝わった道教の神である泰山福君として知られていました。

神道と道教には多くの類似点があるため、多くの日本人はそれらの神々を崇拝することに何の抵抗も感じません。

もう一つの鬼門は南西の角にあると考えられており、裏鬼門と呼ばれています。これも陰陽の哲学と関連しています。

京都を裏鬼門から守っているのが、京都府南西部の八幡市にある石清水八幡宮だ。この神社の主な創建者は仏教の僧侶だったため、今でも神仏習合の痕跡が残っている。


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京都府八幡市にある石清水八幡宮の本殿周囲の石垣の北東隅が鬼門として切り取られている。

石清水八幡宮自体が鬼門除けの役割を果たしていますが、神社本殿の周囲の石垣の北東隅も鬼門除けとして切り落とされています。

それほど一般的ではありませんが、鬼門除けは個人の建物にも見られます。これらの鬼門除けは、北東の角をなくすか、北東の角の小さな四角いスペースを白い石や砂利で埋めるか、北東の角にナンテン(ナンテンまたは天竹)とヒイラギなどの植物を植えることによって作られます。

京都では、他の都市に比べて、こうした鬼除けの行事が一般的です。これは、京都御所や市内の神社仏閣の影響もあるのでしょうが、他にも理由があるかもしれません。

京都は、東西南北に平行に走る碁盤の目のような整然とした街路が特徴で、道路に面したどの土地でも北東と南西の角がどこにあるかは一目瞭然だ。京都の人々は、方角を気にするのは一種の迷信だとわかっていても、方角を忘れることはできないとされている。


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京都市上京区にある京都御所の北東の角は鬼門として窪んでいる。女性がスマートフォンを向けている角には、木彫りの猿の像が守っているのが見える。



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