ホーム Fuji 京都の才能を受け継ぐ和菓子職人が伝統的な和菓子に言葉を織り込み、伝統と現代性を融合

京都の才能を受け継ぐ和菓子職人が伝統的な和菓子に言葉を織り込み、伝統と現代性を融合

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読売新聞
Chie Nanushigawa makes wagashi in Shimogyo Ward, Kyoto.

京都 — 「和菓子」として知られる伝統的な菓子の世界で、名主川千恵さんは、商品にユニークな名前を付けることで和と洋の要素を融合させた独特のスタイルで際立っています。

彼女の代表的な和菓子を例に挙げてみましょう。茶色と黄色の2つの丸いあんにハーブと花びらがアクセントになっています。

同商品は、作家・森鴎外(1862~1922)が翻訳したアンデルセンの小説「即興詩人」の主人公にちなんで「アントニオとララ」と名付けられた。詩人アントニオの苦い人生をほろ苦いキャラメル味の餡で、妻となるララの情熱的な人生をマンゴー入りの甘酸っぱい餡で表現。和と異国情緒が融合した味わいを楽しんでもらおうと、説明文も添えている。

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森鴎外が翻訳した「即興劇団」の主人公にちなんで名付けられた名主川の名物和菓子「アントニオとララ」

彼女の和菓子につけられた特徴的な名前は、文学上の人物に限ったものではありません。「たゆたふ」「木漏れ日」「乙女の歌」など、これらの名前がお菓子の味と香りに深みを与えている気がしてなりません。

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左から時計回りに「たゆたふ」「こもれび」「乙女の歌」

「言葉は和菓子のイメージや奥深さに直結する、欠かせない要素です」と名主川さんは言う。「言葉を伝えることで、和菓子に込められた思いや文化を人々に知ってもらうことができます」

重大な出会い

大学4年生の秋、名主川さんは人生を変える運命的な出会いをした。伝統行事をテーマにした卒業論文の調査で訪れた鹿児島県で、年配の女性と知り合った。別れ際に、女性はおにぎりをあんこで包んだ大きなおはぎを名主川さんに手渡した。帰りの電車の中で食べたところ、甘さが口いっぱいに広がった。

「懐かしく、そして何となくホッとした気持ちになりました」と彼女は振り返る。「あの瞬間、一生に一度の出会いを経験することができました」

和菓子の知識はなかったが、新しい分野に挑戦することに迷いはなかった。大学卒業後は京都の製菓学校に入学。入学式の翌日、京都市北区にある天保14年創業の和菓子屋「長久堂」にアルバイトとして応募。昼間は故村上俊一工場長から基礎を学び、夜は学校に通った。

「それまでは自分が何をしたいのか明確な考えがなかったので、常に感銘を受けていました。」

名主川さんは、季節を感じさせる和菓子のデザインや盛り付けに驚いた。和菓子を作るには季節ごとに何十種類もの木型が使われる。生菓子は、夕暮れの空を思わせるような限りなく繊細な色合いにするため、手作業で色合いをつくりだす。特に村上さんが「吟遊詩人」や「沈思」など、自分の菓子に名前をつけるこだわりに魅了されたという。

和菓子への探求は年々進み、気がつけば15年が経っていた。

「彼女は技術を磨くことに熱心で、伝統を忠実に再現するほど細心の注意を払っていました」と元同僚は語った。

印象的な表現

2020年5月、七主川さんは独立し、京都市下京区に和菓子店「菓子屋ノナ」をオープンした。和菓子屋ではなく菓子屋という店名にしたのは、コーヒーや紅茶に合うお菓子として、また、気軽に楽しめるお菓子として見てもらいたいという思いからだ。

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和菓子作りに使われる木型

和菓子はもともと茶道に添えるために考案されたもので、主に米粉と小豆で作られ、形や色で季節の移ろいを表現しています。名主川さんは、季節の果物やハーブを使って味覚に訴えるとともに、覚えやすい名前をつけて想像力をかき立てます。

イタリア料理のシェフだった夫のアドバイスにより、彼女は独自のスタイルを確立しました。

当初は、茶道で出される抹茶と合わない味や食感を目指した和菓子作りと対立したが、和菓子が中国と西洋の文化が融合して発展してきたことを知り、自分の視野の狭さを思い知ったという。

常に「新しいおいしさ」を追求しながら、京都で受け継がれてきた技術と文化を大切にする名主川。

「和菓子について何も知らなかったときに感銘を受けた伝統を守るためにも、和菓子が人々が伝統について学ぶための入り口として気軽に利用できるものであってほしい。」

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