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パリでの日本のフェンシングの成功は数十年かけて築き上げられた

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かつてはフルーレフェンシングの成功だけに焦点を当てていた国だった日本は、10年かけてあらゆる競技の才能を育成することに注力した結果、パリ五輪で金メダル2個を含むメダル5個という記録的な数を獲得した。

日本初のオリンピックフェンシング選手、牧伸一は1952年のヘルシンキ大会でフルーレに出場し、1964年の東京大会で団体4位に入賞したことがきっかけで、その後半世紀近くにわたり国内の青少年育成がフルーレに注力するようになった。

フルーレフェンシングでは胴体が唯一の有効なターゲットであるため、この競技は日本のフェンサーの細心の注意を払ったアプローチが最も適した競技とみなされており、最終的には2008年に北京で太田雄貴が個人で銀メダルを獲得し、日本にこのスポーツで初のメダルをもたらし、4年後のロンドンでは日本が団体で銀メダルを獲得する結果となった。

パリ五輪男子フルーレフェンシングで金メダルを獲得した日本代表チームのメンバー(左から)長野雄大、飯村和樹、松山恭輔、敷根貴大が、2024年8月5日にパリで行われた記者会見で写真撮影に応じた。(共同)

「ロンドン大会での銀メダルは日本にとって団体フルーレでの最高成績だったが、いかなる犠牲を払ってでもそれを上回るという目標をチームの誰も揺るがすことはなかった」と松山恭介主将は、チームメートとともに決勝でイタリアを破り、団体フルーレで歴史的な金メダルを獲得した翌日の月曜日に語った。

2012年の成功は、日本フェンシング連盟が人材プールを強化するために「エペやサーブル、女子の選手にも広く門戸を開く」絶好の機会だと判断した時だったと、日本代表の青木裕介監督は述べている。この動きは、東京が2020年大会の開催地に選ばれたことでさらに加速した。

日本オリンピック委員会のエリートアカデミーでは、青少年育成を専門とするエペとサーブルのプログラムが設立され、ジュニア大会も開かれた。その結果、現在の女子サーブルのエースである江村美咲選手を含む若者たちが、日本のフェンシング界を変えるべく、この2つの競技に専念するようになった。

フェンシング個人エペ金メダリストの加納宏輝選手が、2024年7月29日、フランスの首都トロカデロのパリ五輪チャンピオンズパークでポーズをとる。(共同)==共同

日本代表は近年、サッカーの最新動向を学ぶため、フランスなど強豪国からコーチを招聘している。強豪国との海外合宿も定期的に行われ、日本の選手たちは対戦相手に慣れるようになっている。

2021年に東京で日本初のフェンシング金メダルを獲得したのは男子エペ団体だった。3年後、加納宏輝がエペ個人金メダルを獲得し、フルーレ団体とともに表彰台の頂点に立った。

男子エペチームは東京でのタイトル防衛は果たせなかったが銀メダルを獲得し、女子フルーレとサーブルチームはともに銅メダルを獲得した。

パリ五輪の女子サーブル団体戦で銅メダルを獲得し、喜びを分かち合う日本のフェンシング選手(左から)江村美咲、尾崎世理、高島里紗、福島志穂美。2024年8月3日、パリのグラン・パレにて。(共同)==共同

「日本が3日連続でフェンシングのメダルを獲得したと聞いて、胸が張り裂けそうになりました」と男子フルーレ団体で金メダルを獲得した敷根貴大選手は冗談交じりに語った。「私たちはプレッシャーをなんとか乗り越えました」

パリで体操競技、柔道、スケートボードに続いて複数の金メダルを獲得したことで、フェンシングは日本での知名度を計り知れないほど高めた。

「これはフェンシングが日本の得意技になるための第一歩です」と松本選手は今夏の日本選手の総合成績を振り返って語った。「大事なのは勝ち続けることです」


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