ホーム jpn ダルビッシュは野茂と同等だが、自分のレベルではないと語る

ダルビッシュは野茂と同等だが、自分のレベルではないと語る

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ダルビッシュ有は火曜日に野茂英雄の通算勝利数に並んだが、サンディエゴ・パドレスの右投手は、自分と日本の野球殿堂入り選手は依然として異なるレベルにいると語った。

ダルビッシュはシアトル・マリナーズ戦で5イニングを投げ、7対3で勝利し、メジャーリーグ通算108勝目を挙げた。日本のメジャーリーグでの通算93勝は、野茂のメジャーリーグ通算201勝(米国で123勝、日本で78勝)と同数となった。

しかしダルビッシュは、類似点はそれだけだと語った。

ダルビッシュは「彼が投げていた時代と、僕が置かれた状況は全く違う」と語った。

サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有選手が、2024年9月10日、シアトルのTモバイル・パークで行われたシアトル・マリナーズ戦でチームメイトのプレーを称賛している。(共同)

野茂がプロ入りした最初の年である1990年、先発投手は先発投球を最後まで投げることが求められていた。先発投手が1試合に150球以上投げる時代に、野茂は四球や三振を頻繁に獲得していたため、近鉄バファローズの新人時代に150球に到達した試合が10回もあった。

その後のシーズンでは、こうした試合数はシーズンあたり数試合にまで減ったが、それはダルビッシュが2005年にアメリカ人監督トレイ・ヒルマンの下で日本の日本ハムファイターズに入団しプロ入りした当時、慣れ親しんだ仕事量とは全く異なるものだった。

ダルビッシュが日本最高の投手陣が好む球場で成長した一方、野茂の時代のバッファローズはホームランが打てる球場で、得点力の高い時代だった。しかし、それにもかかわらず、野茂は疲労が表れるまで4シーズン連続で200イニング以上を投げ続けた。

1994年、腕の痛みに苦しみながらも野茂は8勝7敗の成績を残し、当時の日本プロ野球のルールの抜け穴を利用してMLBに移籍し、1年後に日本人2人目のメジャーリーガーとしてドジャースに入団した。

野茂は、日本ですでに酷使されていた腕でメジャーリーグで2、3シーズン好投した後、1、2年苦戦するという時期を経験した。野茂のメジャーリーグでのキャリアは、2008年に39歳で短期間カメオ出演した以外は、2005年に事実上終了した。

「正直に言うと、彼はまだ私の手の届かない存在だ」と38歳のダルビッシュは語った。

日本野球殿堂入り選手の野茂英雄氏(左)が、2023年2月18日、宮崎での代表合宿で投手のダルビッシュ有氏(中央)と話している。(共同)

ダルビッシュは野茂のMLB移籍から大きな恩恵を受け、日本のトップスターがアメリカのメジャーリーグの最高レベルで活躍できることを証明した。

しかし、ダルビッシュは野茂ほどの歴史を作ったわけではないとしても、かなりのインパクトを残した。昨年のワールドベースボールクラシックでは大谷翔平がMVPに輝いたが、ダルビッシュは春季トレーニングの多くを犠牲にして日本のキャンプに早めに参加し、チームの最終的な勝利に多大な影響を与えた。

火曜日、ロサンゼルスで日本人スター4人が激突した試合後、昨年のWBC決勝で優勝投手となったシカゴ・カブスの今永昇太投手がダルビッシュを称えた。

「ダルビッシュは、日本代表の素晴らしい選手たちと一緒に野球をすることで、自分自身に課した限界から抜け出し、自分の知らなかった強さを発見する瞬間が来ると言っていました」と今永は語った。


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