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キン、1985年の日本航空ジェット機墜落事故から39年を迎える

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1985年の日本航空ジェット機墜落事故の犠牲者の遺族らは月曜日、乗客乗員520人が死亡した世界最悪の単独航空機事故の39周年を記念した。航空会社は最近の一連の事故を受けて安全対策を強化している。

犠牲者の遺族らは例年通り、夏の暑さの中、険しい山道を登り、東京の北西に位置する群馬県の御巣鷹山の墜落現場に哀悼の意を表した。

事故で叔父の加藤弘之さんを失った小林純也さんは「犠牲者の遺族の多くが高齢化している中、記念日に現場に登ることで事故の記憶を次の世代に伝えていきたい」と語った。

34歳の彼は、2002年に亡くなった祖父のリュックサックを背負って登頂した。

1985年の日本航空機墜落事故で叔父を亡くした小林純也さんは、2024年8月12日、群馬県の御巣鷹山の犠牲者を追悼する記念碑の前で祈りを捧げている。(共同)

国土交通省は今年初め、数々の事故を受けてJALに対し安全記録を改善するよう警告した。

5月には、同社のA350ジェット旅客機1機が羽田空港の駐機場で別の日航機の翼に接触したが、けが人は出なかった。同月には、日本南西部の福岡空港で離陸待機中の別の日航機が許可なく停止線を越えたため、ジェイエアの飛行機が離陸を中止する事態となった。

日本航空の新社長、鳥取光子氏は、1月に羽田空港で日航機と海上保安庁機が衝突し、海上保安官5人が死亡したものの、炎上した日航のA350ジェット旅客機に乗っていた乗客379人全員が無事に避難したことを受けて、顧客の安全を最優先すると約束した。

日本航空の鳥取光子社長は、乗客乗員520人が死亡した1985年の日航機墜落事故から39年となる2024年8月12日、東京の北西に位置する群馬県上野村の御巣鷹山の墜落現場で献花する準備をしている。(共同通信)==共同通信

「安全性には一切妥協してはいけないという意識を新たにしました」と鳥取氏は4月に同社社長に就任して以来初の記念日登頂を果たした月曜日、記者団に語った。

1985年8月12日、東京発大阪行きの満員の日本航空123便が離陸後約40分で墜落し、乗客乗員524人のうち生存者はわずか4人となった。

乗客の多くは日本のお盆休みを利用して帰省していた。

1987年、日本政府の事故調査委員会は、墜落の原因はボーイング社による同機後部の圧力隔壁の不適切な修理で破裂し、機体の垂直安定板が吹き飛び、油圧システムが破壊されたと結論付けた。

JALによると、月曜日には68家族230人が御巣鷹山に登った。

犠牲者遺族会代表の宮島久仁子さん(77)は、事故の悲劇を次の世代に確実に伝えていく責任を果たしたいと語った。

KDDIは昨年同様、携帯電話の通信が不安定な山岳地帯でインターネットサービスを一時的に強化し、高齢のため登山に行けなかった遺族とビデオ通話ができる登山者もいた。


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